東京都 小岩郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)8月10日押印 『小岩』
小岩ってどこ?と思ったら東京でした。
全く違う地域のことはなかなか分かりません。
この風景印は昭和26年(1951年)3月25日から使われている物で
現在も同じ風景印です。
図案は善養寺の影向の松、江戸川水門だそう。
善養寺は大永7年(1527年)の創建といわれているそうです。
境内の見事に広がった大きな枝ぶりの影向の松が有名で、
大正15年に東京都の指定天然記念物になったそう。
日本一の松争いで香川の真覚寺境内の岡野松と1年程論争になり、より有名になったようですね。
見かねた大相撲の立行司、木村庄之助が「双方引き分け」と仲裁に入ったそう。
当時日本相撲協会理事長だった地元小岩出身の春日野親方にも東西の横綱と推挙され
無事に日本一争いも終わったそうです。
ちなみに香川の岡野松は平成5年(1993年)に枯れてしまったそうです。
影向の松は平成23年(2011年)には国の指定天然記念物になりました。
江戸川水門は一般の呼び名で船の通る閘門があるので江戸川水閘門が正式だそう。
旧江戸川にあり、昭和18年(1943年)竣工だそうです。
現在も長く続く図案なので、基本的には同じなのですが
今回掲載の昭和40年当時と、今現在の印影は微妙な違いがあります。
風景印を作り直した時に、微妙に線の入り具合が変わってます。
他の所の風景印でもありますが
なんだか昔のものはやっぱりレトロ感が漂う感じ。
線の入り方などが違ったりするので微妙な雰囲気の違いが出ます。
元から印刷物などのフォントやちょっとしたデザインの違いなど
昔のものと今のものとの違いが結構面白いと思うので
風景印の微妙な図案の雰囲気も気になります。
見比べるとちょっと面白いですよ。
小岩郵便局
〒133-8799
東京都江戸川区南小岩8-1-10
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東京都 雷門郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)8月10日押印 『雷門』
この風景印はもう既に違うものに変わっていて廃止印です。
使用開始日は昭和28年(1953年)6月15日。
最終日は昭和48年(1973年)10月31日。
提灯の形の変形印。提灯の描写も凝っていていいですね。
図案は浅草寺と雷神ですかね。鳩も入っています。
浅草寺の本堂の形は分かりやすいですが、
雷門だから雷神だけなのでしょうか。
本当は風雷神門なのですよね。
だんだん省略されて雷門になっちゃったという感じだそうですが
風神がちょっと可愛そうですね。
風景印にも入れてもらえなかったなんて・・・
ところで、雷門は昭和37年(1962年)に再建されるまでの100年程の間は無かったそうです。
火災による焼失が続き、最後の火災は慶応元年(1866年)12月だそうで
そこからずっと無かったとのこと。
松下幸之助さんが寄進して現在の雷門があるのは知っていたのですが
そんなに長い間無かったのは分かっていませんでした。
そして、風神雷神も火災にあっていますが頭だけ残っていたそうで、
江戸時代よりも前に造られた頭部に
明治時代に胴体を造って合わせたそうです。
そして、雷門再建の時に彩色されたそう。
頭部だけ残るって、意味があっての感じがします。すごい。
この次の風景印は48年(1973年)11月1日~平成1年(1989年)4月27日のもの。
その風景印は普通に丸い枠のものでした。
この年代だともしかしたら、未整理分の中から
初日印が出てくるかもしれません。
いつかのお楽しみ。
そしてその次の風景印は平成1年(1989年)4月28日~平成24年1月13日のもの。
これはまた変形印で雷門の提灯の形になりました。
その後、平成24年(2012年)1月16日から現在の風景印にマイナーチェンジ。
図案は変わらずに「東京 雷門」の表記になり
「東京」の文字が追加されました。
ちなみに、
今回掲載の古い風景印の前にも、風景印がありました。
昭和9年(1934年)5月13日使用開始の丸い普通の枠の風景印。
図案のきちんとした詳細は不明ですが
浅草寺の雷門の雷神様と奥に本堂、右には五重塔、左側は仲見世??
ちょっと渋い風景印でした。
これも出てきたらいいのに。
ちょっとお楽しみです。
雷門郵便局(現在地)
〒111-0034
東京都台東区雷門2-2-8
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東京都 赤羽郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)8月10日押印 『赤羽』
昭和27年(1952年)4月20日使用開始の風景印。
こちらは現在も同じものが使われています。
長いですね。
図案は荒川大橋、堰堤(旧岩淵水門)、舟。
旧岩淵水門は大正5年から8年かけて建設され、
大正13年の完成から、荒川の洪水から住民を守ってきたそう。
現在はそこから300m下流に新水門が出来ているので(昭和57年完成)、
もう運用はされていないそうです。
普段は旧水門は赤門、新水門は青門と言われているのですね。
旧水門は土木建築物としての価値が高いと再評価されて
平成7年(1995年)には産業考古学会によって推薦産業遺産に、
平成11年(1999年)には東京都選定歴史的建造物に指定されたそうです。
旧岩淵水門、建設時の監督がパナマ運河の建設に携わった青山士(あおやまあきら)氏だそうです。
色々すごいですね。
トラス橋の絵なので実際は鉄道の荒川橋梁なんでしょうか。
この辺りは橋が架かる前は川口の渡しという渡船で両岸を結んでいたところだったそう。
渡船場は岩淵の渡しや善光寺の渡し(近くに善光寺があるから)とよばれていたそうで、とても賑わった所とのこと。
かなり古からあり、源義経もここを渡ったとか。
歌川広重の浮世絵にも「川口のわたし善光寺」で描かれている地だったのですね。
渡船の絡みですよね、図案の手漕ぎの舟がやっぱりいいですね~
橋と堰堤は強引に並んでいる感がありますが
そこまで違和感を感じないような気もしてくるのが面白いですね。
デザインって奥が深い。
赤羽郵便局
〒115-8799
東京都北区赤羽南1-12-10
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北海道 後志泊郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)7月4日押印(使用最終日) 『後志泊』
こちらは現在の風景印に変わる前のもの。
使用開始日は昭和30年(1955年)5月2日のようです。
図案の詳細はきちんとしたものを見つけられなかったのですが
カブト岩かカブト岬か、バスも走っているのでカブトラインとしてだったのか
現在の風景印と似た感じもありますね。
イカがものすごく下に入っています。
イカも泊村でもよく獲れたものですよね。
すみません、左上の詳細が分からないのですが、
炭鉱の絡みでしょうか。
石炭の移動にこういうの使ってた?
全然違う?
で、現在の後志泊郵便局の風景印。
昭和40年(1965年)7月5日押印(使用開始日) 『北海道 後志泊』
盃郵便局と同じ風景印でした。
後志泊郵便局(しりべしとまりゆうびんきょく)
〒045-0299
北海道古宇郡泊村泊村35-13
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北海道 盃郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)7月5日押印(使用開始日) 『北海道 盃』
北海道に飛びました。
今回もこの風景印の使用開始日のものでした。
積丹半島を代表する観光ルートがカブトラインだそうですね。
カブトラインの象徴とされるのがカブト岬だそうで
カブト岩はカブト岬の上に立つ奇岩だそうです。
義経伝説やアイヌ伝説があるそうで、神聖なところとされているそうです。
ちょっと面白いですね。
盃郵便局のある泊村の主要産業はスケトウダラやイカなどの近海漁業や沿海漁業だそう。
昔はニシン漁が盛んで鰊御殿が残っているそう。
朝の連ドラ、マッサンを思い出してしまいます。
余市町と泊村も近いから同じ感じですね。
この風景印、現在も同じものが使われています。
盃郵便局
〒045-0205
北海道古宇郡泊村興志内村182-5
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東京都 羽村郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)8月10日押印 『東京 羽村』
今回も廃止印でした。
この風景印は
昭和30年(1955年)4月1日から昭和51年(1976年)6月30日のものでした。
「東京」の文字を抜いたものでした。
このマイナーチェンジ風景印の使用期間は
昭和51年(1976年)7月1日から昭和55年(1980年)5月4日でした。
支柱や桁に丸太や枝などを使う投渡堰(なげわたしぜき)と固定堰の二重構造だそう。
増水時には丸太など木で出来た投渡堰取り除いて危険を回避するそうです。
この仕組みはこの地に堰が設置された承応3年(1654年)から現在もほぼ変わっていないそう。
一応現在の形態になったのは明治33年(1900年)だそうです。
ずっと木材で作られている堰、なんだかかっこいいですね。
そして、この堰の周辺は桜が多いそうで桜の名所になっているそうです。
羽村市の市花も昭和48年(1973年)に桜が制定されたそうです。
中里介山記念館は昭和52年(1977年)に閉館しているそうですが、
この風景印のは記念館の正門だった赤門のようですね。
現在はこの赤門は郷土博物館に移築されています。
そして、現在の風景印は昭和51年(1980年)5月5日使用開始です。
図案は玉川兄弟の銅像、市動物公園、羽村水道堰の桜、山並みだそう。
これは思いっきり図案改正されています。
レトロな雰囲気からちょっとシュッとしたデザインになりました。
でも、いっぱい詰め込まれて盛りだくさんなのは変わらずでいいですね。
羽村郵便局
〒205-8799
東京都羽村市緑ヶ丘5-3-2
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東京都 三宅島 坪田郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)8月10日押印 『東京 坪田』
使用開始日は昭和34年(1959年)7月1日、
最終日は平成5年(1993年)5月31日で廃止印です。
図案は三宅島の三池風景、テングサ、観光船。
とってもレトロな雰囲気漂う図案ですね。
このゆるりとした時間の流れを感じるものから
現在はちょっぴり現代っぽい雰囲気も漂うものに変わりました。
なんだろう、今っぽさは道路の描写かな?
現在の風景印は平成5年(1993年)6月1日から。
図案は三七山から見たひょうたん山、赤場焼、島内一周道路、連絡船。
三宅島は昭和37年(1962年)8月の雄山中腹からの噴火で三七山(さんしちやま)が出来ました。
三七山から見えるのは昭和15年(1940年)7月の噴火で出来たひょうたん山。
その近くにむかしの海岸線だった赤場暁という赤い溶岩台地があります。
赤場暁は島内一周道路(都道212号線)の向こう側、海側にあります。
昭和37年の噴火で出来た三七山から見える風景がそのまま現在の風景印になってる感じ。
ここに現在の風景印を掲載できないのでなんですが
道路の照明まできちんと描かれいる所もちょっぴりツボです。
連絡船も大きくなって形がちょっと面白く見えちゃう。
結構忠実に描写しようとしたらこうなっちゃった、みたいな。
現在のものは以前のものとは雰囲気の違う可愛さを感じます。
良かったら画像検索をして見てみてください。
ちなみに、
三七山の展望台から見える風景は三宅村の絶景ポイントにもなっています。
坪田郵便局
〒100-1211
東京都三宅島三宅村坪田3050
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