FDC 通常切手 90円風神 初日カバー その3 東山風景印
90円通常切手 風神 昭和37年(1962年)7月2日発行
東山風景印
カバー版画:中村浪静堂
カバー画:久野実氏
90円風神の通常切手の初日カバーの3つめは
中村浪静堂の木版画カバーです。
カシェはこちらも風神の図の雰囲気そのままです。
前のその2で風神雷神図が高く評価されたのはとても後の時代と書きましたが
今では名の知れた俵屋宗達の事も、よく分からない部分も多いそうです。
日本大百科全書によると、生没年は不詳ですが、桃山から江戸初期の画家とのこと。
京都の上層町衆(まちしゅう)のひとりと思われ、
下絵や扇面画などの工芸的な仕事を主とした作画工房の絵屋(屋号「俵屋」)の
主宰者だったと考えられているようです。
慶長5年(1600年)ごろから1630年代にかけての活躍がうかがえるそうで、
色紙や巻子(かんす・巻物)、扇面だけでなく
重要文化財の養源院の襖絵や杉戸絵を描き、寛永7年(1630年)には
後水尾(ごみずのお)上皇の命により三双の金屏風を描いたりしていて
その頃には画家として高い地位の法橋(僧位の第三で法橋上人位の略)だったよう。
法橋時代には屏風絵の制作に力を入れていたそうで、『風神雷神図』や『松島図』、
『関屋澪標(せきやみおつくし)図』、『舞楽図』などの傑作を残しています。
江戸中期の尾形光琳は宗達に傾倒し、本阿弥光悦と宗達の用いた装飾画の様式を
発展させ、その表現方法や作品は琳派と呼ばれています。
ウィキペディアによると江戸後期から明治期には宗達より光琳のほうが高く評価され、
宗達の評価が低く、代表作の松島図も含め多くの作品が海外へ流出したそう。
大正期には宗達の作品に大きな影響を受ける若い画家が相次ぎ、見直されて
高く評価されたそうです。
時代によって評価のされ方に差があるのも、流行りや時代背景の絡みなど
色々な要因があると思うのでしょうがない部分もあるとは思いますが
評価って難しいですね。
どの時代でも、現在でも、色んな意味で何をどう見るのか。
切手と消印は同じなので省略です。
このカバー付属の解説書はこちらです。
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