FDC 水郷国定公園 初日カバー その4 潮来風景印
茨城 潮来風景印
版画:中村浪静堂
カバー画:木村勝氏
水郷国定公園の初日カバー4つめは中村浪静堂の木版画のカシェ。
こちらは水郷風景のタイトルです。
雰囲気は切手よりも潮来の風景印ですね。
そのまま色が付いたような感じでいいですね。
そういえば、なぜ手漕ぎの船、櫓舟を潮来ではさっぱ舟というのか。
「サッパ舟」の表記でしたが、潮来市公式ホームページにありました。
由来の定説はないそうですが、
言い伝えでは以下3説のいずれかから変化したのではないかとされているそうです。
・笹の舟説 舟の形が笹の葉に似ているから「サッパ舟」となったとする説
・田の端説 田圃の端で作業する舟のタッパ舟が変化して「サッパ舟」となったとする説
・作場田舟説 サクバタ(作場田)舟が訛って「サッパ舟」となったとする説
どれもありそうでちょっと面白いですね。
近世の初頭(西暦1600年前後)の潮来そして十六島の周辺は、
四方を水に囲まれたいわゆる水郷地帯と呼ばれ、水とは切り離せない土地だったそう。
舟は農作業だけでなく、生活に欠かせない重要な役割を果たしていたそうです。
説明文はこちら。
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熊本県 人吉郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)5月7日押印 『人吉』
今回は結構あっさりしたデザインの風景印。
熊本の人吉郵便局です。
使用開始日は昭和27年(1952年)7月21日でした。
図案は球磨川下り風景、人吉温泉。
廃止印で昭和52年(1977年)1月31日まで使われていました。
球磨川くだりのホームページによると
球磨川での川下りは100年以上の歴史があるそうで、西郷隆盛も西南の役で密かに熊本に入るために球磨川を下ったそうです。
また、昭和7年には与謝野鉄幹・晶子夫妻も人吉を訪れ、球磨川下りを楽しんだそう。
滞在中に17首詠んだそうですが、いくつかには球磨川が書かれているそうです。
人吉温泉観光協会のホームページによると
人吉温泉とは、人吉市の五日町から温泉町にかけて分布する温泉とのこと。
本格的に最初に開発されたのは明治43年(1910年)の旧林村の温泉だそう。
人吉市街地での開削は昭和4年(1915年)で、中央温泉を皮切りに
昭和15年(1940)までに21ヶ所開削され、
その後も増えて林温泉と共に人吉温泉と称するようになったそうです。
今は50の源泉があるそうです。
人吉郵便局(ひとよしゆうびんきょく)
868-8799
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茨城県 水戸郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)5月5日押印 『水戸』
今回はまたいい雰囲気、水戸郵便局の風景印です。
使用開始日は昭和36年(1961年)12月15日。
偕楽園は水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって天保13年(1842年)に造園されました。
偕楽園のホームページによると、好文亭は斉昭が自ら設計したといわれているそう。
文人墨客や家臣、領地の人々を集めて、詩歌や養老の会などを催したそうです。
「好文」とは梅の異名で、晋の武帝の
「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」
という故事に基づいて名付けられたそうです。
この風景印は昭和62年(1987年)6月30日までの風景印でした。
水戸郵便局自体もこの日までで、この翌日から水戸中央郵便局に改称しています。
ちなみにこの後の風景印は中の図案は同じで局名表示だけ変わったものでしたが
また現在は変わっています。
それも中はそのままの感じで、枠が梅の花の形の変形印になっています。
可愛らしさもプラスされましたね。
水戸中央郵便局(みとちゅうおうゆうびんきょく)【旧:水戸郵便局】
〒310-8799
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FDC 水郷国定公園 初日カバー その2 潮来風景印
埼玉県 秩父郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)5月1日押印 『秩父』
今回は色々なものが描かれていた風景印、秩父郵便局です。
現在は違うものに変わっていて廃止印ですが、
昭和26年(1951年)7月2日が使用開始日のよう。
図案の詳細記載が見つからなかったのですが、
結構分かるものもありますね。
セメント工場、繭、イチョウと秩父で有名なものが描かれています。
そして奥の山は秩父連山なのでしょうか。
イチョウのすぐ上にある屋根も気になるのですが
何かを表してるのかどうか分かりませんでした。
秩父は養蚕が古くから盛んだったそうで、
江戸時代に養蚕から絹織物の流通発展がめざましく、
絹織物は秩父の特産品となったそう。
武甲山の石灰岩採掘が秩父のセメント産業の発展と大きくかかわっていますが
採掘で山の形も大きく変わったそう。
この風景印が使われていた頃は大きな発展が続いていた頃ですね。
今回の風景印は昭和40年(1965年)12月2日までのものでした。
現在の物はこの風景印からは2回目の変更ですが
秩父神社と祭りの図案へと変わっていきました。
〒368-8799
埼玉県秩父市上宮地町3-16
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FDC 水郷国定公園 初日カバー その1 潮来風景印
茨城 潮来風景印
暑い日々にいい感じにちょっと涼し気にも見える切手とカバー、
水郷国定公園です。
このカバーに付いていた説明がこちら。
利根川と霞ケ浦・北浦との合いするところに発達したデルタ地帯をさし、
茨城・千葉の2県にわたっている。筑波・霞ヶ浦をも含めて昭和34年3月3日に
国定公園に指定された。
わが国でも例のない低湿地帯で、水に生き、水になやむ独特の自然美を作っている。
今回のNCC版は切手と似た雰囲気のカシェになっています。
潮来の風景印も似た感じなので、
切手、カシェ、消印の3つ全部が同じ感じの図案で揃っています。
切手と消印のアップ。
切手は水郷国定公園の10円切手。
図案は水郷風景(と筑波山の遠望)。
消印は潮来風景印。
図案はさっぱ舟の水郷風景、アヤメ、筑波山
この日がこの図案の使用開始日です。
パッと見ると現在と同じ感じですが、厳密にいうと廃止印で
昭和50年(1975年)8月4日から現在の茨城なしの潮来だけの局名表示になりました。
説明文はこちら。
潮来郵便局(いたこゆうびんきょく)
〒311-2499
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