東京都 芝郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)4月25日押印 『芝』
ちょっとお久しぶりになりました。
暑すぎる日々もちょっとは落ち着くのかと思ったら、
まだ結構暑い日々ですね。
熱中症対策、まだまだ必要ですね。
今回はよく見ると実は変形印の芝郵便局の風景印。
使用開始日は昭和34年(1959年)8月1日ですが、
現在も続く継続印です。
東京タワーは昭和33年(1958年)12月23日竣工。
芝郵便局の風景印はこれよりも前は増上寺だけの図案なので、
東京タワーが出来て風景印が変わったんですね。
増上寺のホームページによると
三解脱門は元和8年(1622年)に再建されたものだそう。
江戸初期に増上寺が大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、
国の重要文化財に指定されています。
三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことだそう。
建築様式は三戸二階二重門、入母屋造、朱漆塗。
唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味されたもので
二階内部(非公開)には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されているそうです。
ちなみに、増上寺は何度か火災で焼失しては再建がありました。
第二次大戦の空襲では伽藍や御霊屋のほとんどを焼失する大きな被害でしたが、
この三解脱門は空襲を免れた建物のひとつです。
芝郵便局(しばゆうびんきょく)
〒105-8799
東京都港区西新橋3-22-5
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FDC 錦江湾国定公園 初日カバー その5 鹿児島風景印
神奈川県 横須賀郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)4月19日押印(最終日) 『横須賀』
今回も切り替え時の新旧両方の消印がありました。
先ずは古い方です。
こちらは昭和26年(1951年)4月20日が使用開始日でした。
横浜観光情報 ここはヨコスカのホームページによると、観音崎燈台は
日本で最初の洋式灯台としてフランス人技師F.L.ヴェルニーにより建設されたもので、明治元年(1868年)9月に起工、翌年1月1日に点灯されたそうです。
初代は横須賀製鉄所で作られたレンガを使用した洋館建ての灯台でしたが
大正11年(1936年)4月の地震で倒れ、翌12年3月に二代目が再建されました。
しかし、同年9月の関東大震災で再度倒壊し、現在は三代目で大正14年(1939年)6月にコンクリートで再建されたそうです。
ウィキペディアによると日本初、日本最古の洋式灯台の為、着工日を記念して11月1日が灯台記念日になっているそう。
白色八角形の中型灯台で日本の灯台50選にも選ばれているそうです。
次の風景印はこちら。
昭和37年(1962年)4月20日押印(使用開始日) 『横須賀』
こちらは現在も続く風景印。
船の種類が変わりましたね。
三笠は大日本帝国海軍の戦艦ですね。
この三笠の公式ホームページにとっても簡単なプロフィルがありました。
明治35年(1902年)英国で竣工
大正15年(1926年)記念艦として保存
昭和36年(1961年)往時の姿に復元
戦時中やら何やらの細かいお話はものすごく色々あるので
ここでは省略です。
こういう戦艦は詳しい方やファンの方も多いと思います。
現在も使われている継続印ですが、納得ですね。
横須賀郵便局(よこすかゆうびんきょく)
〒238-8799
神奈川県横須賀市小川町8
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FDC 錦江湾国定公園 初日カバー その4 鹿児島風景印
鹿児島風景印
印刷局凸版
今回も単色カシェです。
ヤシと桜島のデザインはその1でご紹介した木版画のカシェもありました。
色や描き方の雰囲気の違いで印象も全く変わりますね。
ところで、ご紹介していっている初日カバーの説明文を中心に見ていましたが
ネットで再度見てみたら、その後、ここの国定公園の内容が変更されていました。
環境省のホームページによると、
昭和39年(1964年)3月16日に、
錦江湾(旧錦江湾国定公園)及び屋久島地域の編入並びに霧島屋久国立公園へ名称変更
となっていました。
国立公園になっていました。
そして、何度も一部地域の変更や検討などが繰り返され
平成24年(2012年)3月16日に
錦江湾地域(姶良カルデラ)拡張及び屋久島地域の分離並びに霧島錦江湾国立公園へ名称変更
となっています。
現在は霧島錦江湾国立公園でした。
こんなに変遷があると思っていませんでした。
切手と消印は同じなので省略です。
説明文はこちらです。
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広島県 音戸郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)4月19日押印(最終日) 『広島 音戸』
今回も風景印の切り替え新旧が一緒にありました。
古い方は、昭和32年(1957年)12月20日から使われていたものです。
図案は詳細記載は見つけられませんでしたが
音戸の瀬戸、伝清盛塚ですね。
伝清盛塚は呉市のホームページによると
音戸の瀬戸を切り開いたといわれる平清盛公が、人柱の代わりに一字一石の経石を海底に沈め、難工事を完成しました。元暦元年(1184年)その功徳をたたえ、その供養のために清盛塚が建立されました。
清盛公供養のための宝篋(ほうきょう)印塔が中央にあるのですが、
室町時代(1333~1572)に建てられたものだそうです。
現在は埋め立てのために倉橋島に接していますが、
以前はこの風景印のように離れた島になっていました。
次の日からの風景印がこちら。
昭和37年(1962年)4月20日押印(使用開始日) 『広島 音戸』
音戸大橋は昭和36年(1961年)12月に完成したそうです。
平清盛が開削したという伝説と、風光明媚な観光地として知られているそうです。
潮流が速く、潮の干満で流れの向きも変わり、更に細かく流れが変化するそうで
海の難所として古くから知られたところだったそうです。
こちらも廃止印で平成25年(2013年)10月31日まででした。
もう今は第二音戸大橋も出来ているんですよね。
翌日から橋は二つ描かれたものになっています。
音戸郵便局(おんどゆうびんきょく)
〒737-1205
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福井県 芦原郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)4月19日押印(最終日) 『福井 芦原』
今回はまた切り替え時の両方があったので一緒にご紹介です。
先ずはより古い方。
こちらの使用開始日は昭和26年(1951年)10月1日でした。
図案の詳細はざっと検索したくらいでは分かりませんでした。
これより前の戦前の風景印は芦原温泉街だけだったので
温泉だけでなく、提灯と建物が入りだいぶ内容が増えましたね。
何の建物なのか分かりませんでした。
次の風景印がこちら。
昭和37年(1962年)4月20日押印(使用開始日) 『福井 芦原』
こちらは現在も使われている継続印のよう。
図案は芦原太鼓、芦原ゴルフ場、白山、芦原温泉。
温泉が端っこに小さくなりました。
現在はあわら市ですが、この風印の頃はまだ芦原町でした。
平成16年(2004年)3月1日から金津町と合併してあわら市になりました。
芦原郵便局(あわらゆうびんきょく)
〒910-4199
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