FDC 製鉄百年記念 初日カバー 釜石特印
製鉄百年記念 昭和32年(1957年)12月1日発行
釜石特印
郵便文化部
南部藩士大島高任(たかとう)が岩手県釜石付近に日本最初の高炉(溶鉱炉)を築いて
洋式製鉄を始めてから満百年の記念に切手が発行されました。
カシェのカバーはわが国最初の洋式溶鉱炉の絵巻中の一場面だそう。
数人で長い鉄棒を突いて溶鉱炉の出口を開け溶鉱を流し出しているところ。
鉄棒の先にかぶさっているのは溶鉱の火花を防ぐ濡らした筵(むしろ)。
前面の四角形のものは溶鉱を流しためる砂地だそうです。
切手と消印はこちら。
10円の製鉄百年記念切手。
図案は日本最初の高炉と現在の溶鉱炉。
消印は製鉄百年記念の釜石特印。
溶けた鉄が飛び散る躍動感のある図案ですね。
説明文はこちら。
今回も裏側もありました。
この上の絵は切手原図画家の吉田豊氏のもので、富士製鉄株式会社姫路市広畑の
近代的溶鉱炉。高さ64メートル。銑鉄生産能力は1日千トンだそう。
製鉄量正解第6位の日本の代表的な溶鉱の一つ。
下の絵は1857年12月蘭学者大島高任が海外からの機械設備の輸入など全然なく
オランダの技術書や工学辞書によって独力建設操業に成功した洋式高炉の略図で
切手右端の図柄の原図。
釜石郵便局(かまいしゆうびんきょく)
〒026-8799
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三重県 山田郵便局 古い風景印
昭和23年(1948年)5月10日押印(使用開始日) 『山田』
もう今はこの名前の郵便局は無いのですが
三重県の伊勢の郵便局でした。
図案は真珠貝に二見浦と海女です。
伊勢そのものの図案ですね。
海女さんが笑顔な感じにみえるのもなんだかいい感じです。
この貝の中の岩二つが繋がってるし二見浦の夫婦岩に見えるなぁと思いつつ
はっきりしない状態でしたが、きちんと教えていただき納得でした。
最終日がはっきりしないそうですが、
山田郵便局は昭和30年(1955年)3月1日に現在の伊勢郵便局に改称しています。
なので、
その前日の2月28日までではないかとの事でした。
この消印の当時は山田郵便局は伊勢市豊川町に局舎がありました。
伊勢郵便局に改称後の昭和41年にこの地は伊勢市岩淵一丁目に町名変更されています。
(その場所は昭和43年に現在の伊勢本町に町名変更されています。)
昭和42年(1967年)に伊勢郵便局は岡本町へ移転し、
平成12年(2000年)に岡本町から現在の岩淵三丁目へ移転しています。
伊勢郵便局(旧:山田郵便局)
〒516-8799
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FDC 小河内ダム竣工記念 初日カバー 小河内特印
小河内ダム竣工記念 昭和32年(1957年)11月26日発行
東京・小河内特印
郵便文化部
郵政省の解説書によると
東京都民の飲料水を確保するため、多摩川の上流に建設された
水道用としては世界に誇る巨大なダム
という小河内ダム。
戦前戦後を通じ26年の歳月を経て完成したそうです。
奥多摩湖の正式名称が小河内貯水池で、小河内ダムで堰き止めて造られた人造湖。
建設当時は水道専用では世界最大規模だったそうです。
現在でも水道専用では日本最大級だそうです。
小河内村に建設されたので、小河内村の大部分がこのダムに沈んだそうです。
ダムが出来るとどうしても沈むところが出来ちゃいますよね。
当たり前ですけど。
カバーのカシェは小河内ダム初放水のときの写真。
初放水を見ている関係者の万歳がいいですね。
完成までの年月を思うとそりゃ万歳しちゃいますよね。
切手と消印はこちら。
10円の小河内ダム竣工記念切手。
図案は奥多摩湖風景。
消印は東京・小河内特印
ダムと水道の蛇口で水道用ダムというのがとってもアピールされている図案ですね。
そのままで分かりやすい。
説明文はこちら。
今回も裏にもありました。
東京と小河内ダムの位置の地図。
小河内郵便局(おごうちゆうびんきょく)
〒198-0233
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愛知県 西尾郵便局 古い風景印
昭和35年(1960年)12月14日押印(最終日) 『西尾』
この風景印の使用開始日は昭和30年(1955年)8月10日。
図案はまたきちんとは調べられていませんが、
西尾はお茶の名産地です。
お茶の産地も色々ありますが
実は抹茶では日本で一番の産地になります。
図案にも茶壷がしっかり描かれています。
また、西尾を中心とした周辺地域は三州産地と言われる綿織物の産地です。
日本における綿作と綿織物の発祥の地で、
産業用資材の綿織物は生産量日本一だそうです。
紡績工場に多い三角屋根工場が描かれているので
綿織物の工場が描かれているのでしょうね。
はっきりしないのが2つ。
布地はその綿織物でしょうか?
鼓もよく分かりません。
この次の風景印がこちら。
昭和35年(1960年)12月15日押印(使用開始日) 『西尾』
こちらは現在も使われている風景印です。
図案は三河万歳と茶壷。
お茶は変わらず西尾と言えばお茶という感じで名産品。
三河万歳はもとは正月の祝福芸ですが
現在は季節を問わず慶事の際などにも披露されます。
平成7年(1995年)12月26日に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
西尾の三河万歳は伝承地名で森下万歳と言われます。
西尾郵便局(にしおゆうびんきょく)
〒445-8799
愛知県西尾市丁田町五助40-2
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FDC 切手趣味週間 昭和32年(1957) 初日カバー 東京特印
切手趣味週間 昭和32年(1957年)11月1日発行
東京特印
郵便文化部
昭和32年(1957年)は切手趣味週間が11月に行われた最後の年でした。
このカバーの説明文に
「毎年秋を飾る恒例の切手趣味週間」
の記載がありますが、この次の年からは
郵政記念日(当時の逓信記念日)の4月20日を中心に行われるようになりました。
このカバーのカシェは切手の図と同じ浮世絵師の鈴木春信の図。
切手とは別の、絵本「青桜美人合」の中の一図。
この絵本にはカシェの立って手まりをついている図と
手まりを作っている図があるそうです。
切手と消印はこちら。
10円の特殊切手は鈴木春信筆版画「まりつき」。
カバーのカシェの鈴木春信の絵本とは別の子供絵の小版のものだそう。
消印は切手趣味週間記念の東京特印。
切手収集のストックブックとピンセットで切手趣味そのものですね。
いっしょにあるお花の絵は菊でいいのかな。
葉っぱの形も菊っぽいですね。
前年の消印は大菊とピンセットだったし、やっぱり菊かな。
ちなみに、この前年のはこちら。
説明文はこちら。
今回は裏もあるので一緒にどうぞ。
切手趣味についての記載が説明文の裏側にありましたね。
画像が消えたり見れなくなった時のために書いときます。
「戦後日本の切手趣味のブームは毎年秋開催する切手趣味週間の初日11月1日に
美しい大型の特殊切手が発行されるのをピークとしている。」
見返り美人の切手がとても人気があったとかありましたが
それも昭和23年(1948年)の切手趣味週間の切手ですね。
絵柄はもちろんですが、
ちょっと大きい切手が作られていたというのもまた良かったのかしら。
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和歌山県 椿郵便局 古い風景印
昭和35年(1960年)12月15日押印(使用開始日)『和歌山 椿』
また可愛らしさのある風景印。
こちらも使用開始日でした。
図案は弁天島、椿、温泉街。
島からは那智の滝を眺めることができるそうです。
椿は椿山公園が有名だそうです。
以前白浜駅前の風景印をご紹介しましたが
あちらもハマユウの花と温泉と円月島でした。
同じ白浜町、花と温泉と島の組み合わせで風景印も揃ってますね。
椿郵便局
〒649-2326
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FDC 原子炉竣工記念 初日カバー 東海特印
原子炉竣工記念 昭和32年(1957年)9月18日発行
茨城・東海特印
郵便文化部
10円の記念切手が発行されました。
カバーのカシェは日本で初めて動く湯沸し型原子炉の模型図(炉心部分の縦断面)。
今となってはこの原子炉が色々な問題になっていますね。
この当時は日本の明るい未来のための原子炉だったのかな。
色々な意見と考え方があると思いますが
今後はどのようにしていくのでしょうね。
切手と消印はこちら。
10円の原子炉竣工記念切手。
図案はもちろん原子炉。
消印は茨城・東海の特印。
図案はウランの原子の図とハトですよね。
ハトがいるところでよけいに今後の平和の願いが込められているのを感じます。
日本が太平洋戦争を始めたきっかけはアメリカの経済制裁による
日本への石油輸出の全面禁止。
日中戦争中なのに石油がなくなると戦えなくなるし
資源のない国にはとても厳しい事でした。
戦後に原子力発電の開発に至ったのは、ウランはオーストラリアからの輸入。
アメリカやアジア、ソ連などからの石油の輸入をしなくても賄え、
エネルギーの自給率を上げたかったというような感じもあったとか。
ちょっとニュアンスが違ってたらごめんなさい。
自分の国の分を自分の国で賄うのは難しいけどとても重要なことですものね。
今回のカバーが出てきてなんかまた考えさせられます。
説明文はこちら。
東海郵便局
〒319-1117
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