メートル法完全実施記念 昭和34年(1959年) 名古屋特印
メートル法完全実施記念 昭和34年(1959年)6月5日押印
名古屋特印
ちょっと番外編的に今日、6月5日の日付の特印のみのものを。
昭和34年(1959年)の6月5日はメートル法完全実施記念の切手が発売された日です。
6月5日は記念式典が行われた日でした。
その切手はこちら。
切手の図案はものさし、はかり、ますです。
特印の方の図案はメートル原器、グラムのg、メートルのm、リットルのlの3文字を図案化したものです。
切手も特印も原画は渡辺三郎氏でした。
このメートル法完全実施記念の初日カバーを
以前ご紹介しています。
ちなみに世界的な単位のメートルを使う
メートル法が日本で公布されたのは大正10年(1921年)4月11日ですが、
メートル法が完全実施されたのは昭和34年(1959年)1月1日でした。
色々大変でずっと日本で使われていた尺貫法を使わないようにしたのは
昭和41年(1966年)3月31日以降でした。
メートル法公布記念日は4月11日になっています。
当時は英米ではメートルでなくポンド・ヤードが使われていたり
日本でも慣れ親しんでいるからこそすぐには尺貫法を完全廃止できなかったり
なかなか難しかったようですね。
そのあたりの事は初日カバーのその2でもちょっと触れています。
もし良かったらどうぞ。
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北海道 登別温泉郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)2月14日押印(最終日) 『登別温泉』
今回はちょっと面白い物だったのかもしれません。
続けてもうひとつ、こちらもどうぞ。
昭和40年(1965年)2月15日押印(初日) 『登別温泉』
同じ図案なのですが、微妙に印影が違って、新しい印になっています。
印自体が新しくなっています。
最初の風景印の使用開始日は昭和25年(1950年)5月1日。
2月14日までの印影が擦り切れてないのになぜ印を新しくしたのかと思ったら
この2月15日から表示改正で印が変わったそうです。
昭和40年は北海道の各局の風景印の局名表示の所が
旧国名から北海道に順次変わっていった年。
以前の図案には旧国名が入っていないし、
新しくなった図案にも北海道と入っていないのに
図案改正だったそうです。
事由欄に記載はなく変わるという告示のみあったそうです。
図案は大湯沼、日和山、地獄谷の噴煙です。
こちらは現在も使われている継続印で
パッと見ると昭和25年からずっと変わらず長く使われている感じです。
分りにくいけど、ちょっと面白いですね。
大湯沼と地獄谷は活火山の日和山が噴火して出来た爆裂火口跡。
大湯沼は瓢箪型の沼で沼底から高温の硫黄泉が出ているそう。
地獄谷は谷に沿って多くの湧出口や噴気孔があるそうで、
大量の湯が出ているそうです。
どちらも見に行けるそうで、火山や自然のすごさを感じられる場所ですね。
登別温泉郵便局(のぼりべつおんせんゆうびんきょく)
〒059-0551
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FDC 第6次南極地域観測記念 記念カバー その1 宗谷特印
第6回南極地域観測記念 昭和37年(1962年)1月30日
宗谷 特印
JPS版
久々に南極観測のカバーが出てきました。
第6次南極観測隊の出発は昭和36年(1961年)10月30日。
昭和基地の閉鎖の撤去作業のためだったそうです。
宗谷の南極観測船としては最後のお仕事でした。
カシェが南極の地図とペンギンでちょっと可愛いです。
ネイビーの単色カシェもちょうどいい雰囲気ですね。
第6次南極地域観測記念の文字も結構好きです。
切手と消印はこちら。
切手は白瀬中尉南極探検50年記念の10円切手。
昭和35年(1960年)11月29日発行です。
図案は白瀬中尉と南極地図。
消印は第6次南極地域観測記念の宗谷特印。
図案は空輸ヘリと昭和基地と宗谷でしょうか。
消印の一番下、一文字消えていますが、昭和基地です。
毎回1月30日の日付で記念押印されていたそうです。
ついでにこの切手ですが、明治43年(1910年)11月29日に
白瀬中尉を隊長とする南極探検隊(隊員27名)が開南丸で東京芝浦岸壁を出発し、
南極探検が行われてから50年を記念して発行されました。
この時の初日カバーがうちに来たコレクションの中では
今のところ見つかっていないのですが、
白瀬中尉による日本最初の南極探検はとても大変なものだったようですね。
資金絡みでも人員的にも、そして犬にまで問題発生がいっぱいだったようです。
内紛もものすごかったようで、よく全員無事に帰ってきたものだと思います。
当時の事を簡単に書かれたものを見てもなんだかつらくなります。
そして、白瀬中尉はすごい生涯を送られたようです。
すごいですね。
今回も反対側にスタンプがありました。
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北海道 塩谷郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)2月14日押印(最終日) 『後志 塩谷』
また久々に北海道。
昭和40年は北海道表示に図案を更した年のようですね。
こちらの使用開始日は昭和31年7月2日でした。
図案は忍路(おしょろ)湾の風景と特産の葡萄と梨。
今回の日付が最終日で翌日から図は同じで「北海道 塩谷」に変更です。
その風景印ももう変わってしまっていますが、
この図案と同じものを蘭島郵便局も使っていて
同じ日に「北海道 蘭島」に変りましたが、
こちらは現在も使用中です。
忍路湾は塩谷付近から蘭島海水浴場までの8kmほどのところだそう。
昔はニシン漁業の中心地だったそうです。
とっても景色が良いそうで、
またこちらも行ってみたくなります。
塩谷郵便局(しおやゆうびんきょく)
〒048-2672
北海道小樽市塩谷1-18-14
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FDC 昭和37年(1962年)お年玉賞品小型シート 初日カバー 出雲風景印 櫛型印
昭和37年(1962年)お年玉賞品小型シート 昭和37年(1962年)1月20日発行
出雲風景印
出雲櫛型印
JPS版
昭和37年の年賀切手、虎張子ですが、
年賀はがきの賞品の小型切手シートの方の初日カバーです。
JPS版のカバーで、カシェの虎張子の図案自体は前回ご紹介のものと同じですが
ちゃんと細かい所が変えてあります。
上に「お年玉賞品小型シート」の文字が入り
虎張子の下の1962年年賀切手の文字の下に
「LOTTERY SOUVENIR SHEET」と入っています。
一番下の日付も1月20日になっています。
パッと見た感じの雰囲気は12月の年賀切手のカシェと似ているので
ちょっと面白いですね。
切手と消印部分はこちら。
年賀はがきの賞品のお年玉郵便切手のシート。
虎張子の5円切手が4枚のシートです。
消印は出雲の風景印。
切手シートの柄の部分に結構重なって風景印の柄も見にくいですが
日付の上に年の表示があるので、切手シートの「和」の字と重なって
この写真ではあんまりきちんと「37」の数字が見えませんね。
使用開始日は昭和36年(1961年)12月15日。
この虎張子の年賀切手の発売日と同じ日からの風景印でしたね。
そしてこの風景印の最終日は昭和47年(1972年)6月30日でした。
出雲の風景印は結構ちょこちょこ変わっている感じですね。
現在の物は全然違います。
出雲郵便局(いづもゆうびんきょく)
〒693-8799
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北海道 支笏湖郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)2月14日押印(最終日) 『胆振 支笏湖』
ちょっと斜めで見にくいかもしれませんが
今回は北海道、支笏湖郵便局です。
使用開始日は昭和27年(1952年)7月1日でした。
「北海道 支笏湖」に表記が変わりました。
そちらは現在も使われている風景印です。
支笏湖は約4.4万年前に噴火したときのカルデラに水の溜まったカルデラ湖。
最初は円形だったそうですが、カルデラの縁に恵庭岳と風不死岳が噴出して
現在のようなちょっとくびれのある形になったそうです。
湖の深部に温かい水があり、湖水の温度が下がりにくいので
日本最北の不凍湖とのこと。
更に、水の透明度が高く、湖沼水質調査では何度も日本一になっているそうです。
恵庭岳の樽前山も火山なんですね。
樽前山の方が活動が盛んなようです。
支笏湖郵便局(しこつこゆうびんきょく)
〒066-0281
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