山形県 村山郵便局 古い風景印
昭和37年(1962)11月20日押印 『村山』
結構きれいな印影ですが、初日ではありませんでした。
もう使われていない廃止印です。
使用期間は昭和32年(1957)3月19日~昭和58年(1983)6月30日です。
図案は米俵、まゆ、幕府貯水池、誰袖碑だそう。
誰袖碑は天神社にあるそうです。
幕府貯水池とは村山貯水池・多摩湖のことでしょうか。
大正5年(1916)から昭和2年(1927)にかけて建設されたダムだそう。
今回の村山貯水池・多摩湖はこの羽村取水堰から導水管で導いた水を貯めているそう。
そしてここから浄水場へ送られるそうです。
ちなみに羽村の風景印の記事はこちら↓
村山郵便局
〒995-8799
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FDC 昭和35年年賀切手 米食いねずみ 初日カバー その1 東京中央風景印
福島県 川内郵便局 古い風景印
昭和37年(1962)11月15日押印(使用開始日) 『福島 川内』
この風景印は廃止印で昭和62年(1987)6月30日まで使われていました。
図案は天然記念物のモリアオガエルと卵塊は分かるのですが、
すみません、他がきちんとは分かりません。
平伏沼(へぶすぬま)はモリアオガエルの繁殖地。
国の天然記念物の指定を受けているそうです。
ちょうど梅雨入りの今の時期はモリアオガエルの卵が見られる頃のようです。
昭和62年7月1日からのこの次の風景印が今も使われているもののようです。
川内郵便局
〒979-1299
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FDC 第15回ガット東京総会記念 初日カバー 東京特印
第15回ガット東京総会記念 昭和34年(1959)11月2日発行
東京特印
カバー画:渡辺三郎
中村浪静堂
ガットは関税と貿易に関する一般協定で
昭和22年(1947)にジュネーブで調印されたもの。
ガットの総会がジュネーブ以外で開かれるのが初めてということで
この記念切手が発行されたそうです。
切手と消印部分。
切手は地球。
消印は東京特印で切手も消印も図案は渡辺三郎だそうです。
消印はガット東京総会のマークと菊の花。
説明文はこちら。
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北海道 湧別 古い風景印
昭和40年(1965)9月25日押印(使用開始日) 『北海道 湧別』
北海道の風景印、最終日と次の使用開始日のセットであったものが続きましたが
今回の湧別は新しい方の使用開始日だけでした。
現在もこの風景印が使われています。
図案は志撫子浜の風景、特産のホタテ貝。
ちなみにこの前の風景印は昭和35年(1960)7月25日からの
「北見 湧別」で、図案はやはり同じでした。
北見が北海道に変わったのですね。
志撫子浜はサロマ湖沿いのところのことのようですね。
サロマ湖は日本で3番目に大きい湖だそうで
北海道では1番大きい湖。
海ギリギリのところにあって面白いですね。
そして、なんといってもホタテの産地。
風景印はそのままですね。
湧別郵便局
〒099-6499
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FDC 松陰百年祭PTA大会記念 初日カバー 東京特印
松陰百年祭PTA大会記念 初日カバー 昭和34年(1959)10月27日発行
東京特印
安政6年(1859)10月27日が吉田松陰の没した日ということで
それから100年の昭和34年(1959)10月27日に
松陰の殉節百年祭が萩で行われたそうです。
そして、その直前の10月25日・26日に第7回全国PTA研究大会山口大会が
県内10会場で開催されたそうです。
吉田松陰とPTA大会に特に深い関係があったわけではなく、
ただ同じ時期にあったので一緒に記念切手になったようです。
吉田松陰とPTAって何?と思いましたが
全然関係なかったですね。
切手は本にPTAのマークと吉田松陰の肖像。
かなり強引だけど一応別々に描かれているという図案。
面白いですね。
消印は東京特印。
萩のだともっと良かったですね。
説明文もどうぞ。
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北海道 余別 古い風景印
昭和40年(1965)9月24日押印(終日) 『後志 余別』
使用開始日は昭和37年(1962)11月15日。
図案は神威岬(かむいみさき)と神威岩と名産の鮑(の中に局名)。
神威岬と神威岩はいい見どころのようですね。
神威岩は義経伝説にまつわるチャレンカ姫の悲恋のお話があるそうです。
源義経は奥州で死んだとされていますが、
実は生き延びて北海道へ渡ったという義経伝説。
北海道は色々な所に義経絡みのお話があるのですね。
日高の平取にたどり着いた義経は、そこに滞在している間に
酋長の娘チャレンカと恋仲になったそう。
でも、頼朝の手下が追ってくるし、
義経はいつか大陸へ渡りたいという野望も捨てきれません。
チャレンカ姫を連れて行くには危険なので、狩りに行くと言って出掛けたのでした。
刀が無いことに気付いたチャレンカ姫は、義経に置いて行かれたことを悟り
必死で追いかけました。
チャレンカ姫が神威岬に来た時には
もう義経の船が遠くに見えなくなるところだったとか。
チャレンカ姫は義経を失った悲しみでそのまま海に身を投げてしまいました。
神威岩はその悲しみが岩になったと言われているそうです。
また、その後はこの地で自殺者が後を絶たず、
この辺りの土地は世と別れる町、余別とよばれるようになったそうです。
更に、この辺りを通る船に女性が乗っているとチャレンカ姫の嫉妬で沈没すると言われ
明治時代初期まで女人禁制の地とされていたそうです。
で、
次の風景印はここも図案が同じです。
昭和40年(1965)9月25日押印(使用開始日) 『北海道 余別』
こちらは現在も同じ風景印です。
そうそう、先日、入舸の風景印を載せましたが
入舸で気付くべきでしたね。でも、余別のあとの話なのでこっちで書きます。
入舸の部落にたどり着いたそう。
大怪我を負っていた義経はシララ姫に助けられ、介抱されたそうです。
シララ姫は入舸の酋長の娘で、とても優しく、すぐに恋仲になったそう。
一緒に暮らし、子供も生まれ、幸せな数年を過ごしていましたが
頼朝にまだ生きていることを知られて追ってはくるし
元気になった義経にはまた大陸へ渡りたい野望が。
入舸の地とその部落を気に入っていた義経は、追っての迷惑がかからないようにと
また逃げることになり、危険な旅にはシララ姫や子供を連れていけないので
シララ姫と子供が見送る中、積丹半島を旅立ったそうです。
シララ姫が子供を背負い、泣きながらずっと見送っていたそうで
地平線に義経の船が消えそうになる時に
岩を一つずつ飛び越えて義経を追ったのですが
3つめの岩に飛び乗った時に突然の大波が襲いかかり
シララ姫と子供を飲み込んでしまったそうです。
それと同時に海から大きな岩が出現したそう。
その形はシララ姫が子供を背負った姿そのものだったそうです。
女郎子岩がその岩だそうです。
義経、女泣かせな人ですね。時代からしょうがないのかな。
酋長の娘続きだし、なんだかなぁ。
先日の古い入舸の風景印、図案が不明ですがもしかして女郎子岩なのか?
これもまた微妙に形が違う気がするのですが、どうなんでしょうね。
違う話になっちゃった。
余別郵便局
〒046-0322
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