愛媛県 宇和島郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)11月3日押印 『宇和島』
今回は渋めの風景印。
昭和51年(1976年)4月19日まで使われていたもので廃止印です。
鶴島城は宇和島城の別名。
城は藤堂高虎が慶長元年(1596年)から慶長6年(1601年)にかけて築き、
宇和島城と名付けました。
天守の出来上がりを見届けてから移ったそうです。
現在の天守は伊達家の居城となってから老朽化のため改修され、
寛文11年(1671年)に竣工だそうです。
昭和9年(1934年)には天守と大手門が当時の国宝に指定され、
昭和12年(1937年)には国の史跡に指定されました。
昭和20年(1945年)第二次大戦末期に空襲で国宝の大手門を焼失しましたが天守は残り
昭和25年(1950年)に天守が重要文化財に指定されました。
昭和35年(1960年)から37年(1962年)にかけて解体修理が施されましたが
現存天守はやはり素敵ですね。
宇和島空襲をくぐり抜けて本当に良かったです。
元和元年(1615年)に伊達家が移ってきた時に共にやってきた家臣の山家清兵衛公頼は
家老として産業の拡充や民の生活の安定に手腕を発揮し藩政を支えました。
財政がなんとか安定してきた頃に大阪城の石垣修復工事の指示が出されましたが
工事費は藩で負担しなければならなかったことから
反清兵衛派と藩の運営をめぐり意見が対立、
元和6年(1620年)に清兵衛は子息と共に殺害されてしまいました(和霊騒動)。
清兵衛を慕う民によって小さな祠に子息と共に祀られたのですが、
殺害に関わった人が海難事故や落雷などで次々に変死し清兵衛の怨霊と恐れられ、
承応2年(1653年)に藩主によって清兵衛を祀る山頼和霊神社が創建されました。
享保16年(1731年)には現在の地、清兵衛邸跡に遷座し和霊神社となりました。
昭和20年(1945年)に第二次大戦の空襲でこちらも焼失しましたが
昭和32年(1957年)に再建されました。
廃止印なのでもう今は違うのですが
今回の風景印の図案はどちらもとっても気になるものでした。
宇和島郵便局(うわじまゆうびんきょく)
〒798-8799
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