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北海道 余別 古い風景印

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昭和40年(1965)9月24日押印(終日) 『後志 余別』

 

使用開始日は昭和37年(1962)11月15日。

図案は神威岬(かむいみさき)と神威岩と名産の鮑(の中に局名)。

 

神威岬と神威岩はいい見どころのようですね。

積丹半島の先っぽに出ている部分が神威岬

神威岩は義経伝説にまつわるチャレンカ姫の悲恋のお話があるそうです。

源義経は奥州で死んだとされていますが、

実は生き延びて北海道へ渡ったという義経伝説。

北海道は色々な所に義経絡みのお話があるのですね。

 

日高の平取にたどり着いた義経は、そこに滞在している間に

酋長の娘チャレンカと恋仲になったそう。

でも、頼朝の手下が追ってくるし、

義経はいつか大陸へ渡りたいという野望も捨てきれません。

チャレンカ姫を連れて行くには危険なので、狩りに行くと言って出掛けたのでした。

刀が無いことに気付いたチャレンカ姫は、義経に置いて行かれたことを悟り

必死で追いかけました。

義経は大陸へ渡るために神威岬から船に乗って旅立ち、

チャレンカ姫が神威岬に来た時には

もう義経の船が遠くに見えなくなるところだったとか。

チャレンカ姫は義経を失った悲しみでそのまま海に身を投げてしまいました。

神威岩はその悲しみが岩になったと言われているそうです。

また、その後はこの地で自殺者が後を絶たず、

この辺りの土地は世と別れる町、余別とよばれるようになったそうです。

更に、この辺りを通る船に女性が乗っているとチャレンカ姫の嫉妬で沈没すると言われ

明治時代初期まで女人禁制の地とされていたそうです。

 

で、

次の風景印はここも図案が同じです。

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昭和40年(1965)9月25日押印(使用開始日) 『北海道 余別』

 

こちらは現在も同じ風景印です。

 

 

そうそう、先日、入舸の風景印を載せましたが

神威岬を出たあとの義経の伝説が入舸にありました。

入舸で気付くべきでしたね。でも、余別のあとの話なのでこっちで書きます。

 

船で神威岬を出た義経でしたが、すぐに大時化にあって難破し

入舸の部落にたどり着いたそう。

大怪我を負っていた義経はシララ姫に助けられ、介抱されたそうです。

シララ姫は入舸の酋長の娘で、とても優しく、すぐに恋仲になったそう。

一緒に暮らし、子供も生まれ、幸せな数年を過ごしていましたが

頼朝にまだ生きていることを知られて追ってはくるし

元気になった義経にはまた大陸へ渡りたい野望が。

入舸の地とその部落を気に入っていた義経は、追っての迷惑がかからないようにと

また逃げることになり、危険な旅にはシララ姫や子供を連れていけないので

シララ姫と子供が見送る中、積丹半島を旅立ったそうです。

シララ姫が子供を背負い、泣きながらずっと見送っていたそうで

地平線に義経の船が消えそうになる時に

岩を一つずつ飛び越えて義経を追ったのですが

3つめの岩に飛び乗った時に突然の大波が襲いかかり

シララ姫と子供を飲み込んでしまったそうです。

それと同時に海から大きな岩が出現したそう。

その形はシララ姫が子供を背負った姿そのものだったそうです。

 女郎子岩がその岩だそうです。

 

義経、女泣かせな人ですね。時代からしょうがないのかな。

酋長の娘続きだし、なんだかなぁ。

 

先日の古い入舸の風景印、図案が不明ですがもしかして女郎子岩なのか?

これもまた微妙に形が違う気がするのですが、どうなんでしょうね。

違う話になっちゃった。

 

 

 

余別郵便局

〒046-0322

北海道積丹郡積丹町余別町18

 

 

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