FDC 切手趣味週間記念 昭和37年(1962年)初日カバー その1 東京特印
東京特印
お久しぶりに切手趣味週間の初日カバーです。
切手趣味週間は昭和22年(1947年)に当時の逓信省が
切手趣味の普及を図る目的で始まりました。
浮世絵の図案のちょっとインパクトのある切手が印象的でした。
今回の昭和37年(1962年)も浮世絵です。
切手の図案がそのままのカシェでこのカバーもインパクトがありますね。
切手と消印はこちら。
10円切手の図案は狩野長信の花下遊楽図屏風の一部。
ちょっと大きな切手でまたインパクト大です。
消印は切手趣味週間記念の東京特印。
消印の図案が切手趣味週間の切手なのがまたいいですね。
実際の昭和35年(1960年)、昭和36年(1961年)、昭和37年(1962年)の
3年分の切手が描かれています。
説明文はこちらです。
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愛媛県 宇和島郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)11月3日押印 『宇和島』
今回は渋めの風景印。
昭和51年(1976年)4月19日まで使われていたもので廃止印です。
鶴島城は宇和島城の別名。
城は藤堂高虎が慶長元年(1596年)から慶長6年(1601年)にかけて築き、
宇和島城と名付けました。
天守の出来上がりを見届けてから移ったそうです。
現在の天守は伊達家の居城となってから老朽化のため改修され、
寛文11年(1671年)に竣工だそうです。
昭和9年(1934年)には天守と大手門が当時の国宝に指定され、
昭和12年(1937年)には国の史跡に指定されました。
昭和20年(1945年)第二次大戦末期に空襲で国宝の大手門を焼失しましたが天守は残り
昭和25年(1950年)に天守が重要文化財に指定されました。
昭和35年(1960年)から37年(1962年)にかけて解体修理が施されましたが
現存天守はやはり素敵ですね。
宇和島空襲をくぐり抜けて本当に良かったです。
元和元年(1615年)に伊達家が移ってきた時に共にやってきた家臣の山家清兵衛公頼は
家老として産業の拡充や民の生活の安定に手腕を発揮し藩政を支えました。
財政がなんとか安定してきた頃に大阪城の石垣修復工事の指示が出されましたが
工事費は藩で負担しなければならなかったことから
反清兵衛派と藩の運営をめぐり意見が対立、
元和6年(1620年)に清兵衛は子息と共に殺害されてしまいました(和霊騒動)。
清兵衛を慕う民によって小さな祠に子息と共に祀られたのですが、
殺害に関わった人が海難事故や落雷などで次々に変死し清兵衛の怨霊と恐れられ、
承応2年(1653年)に藩主によって清兵衛を祀る山頼和霊神社が創建されました。
享保16年(1731年)には現在の地、清兵衛邸跡に遷座し和霊神社となりました。
昭和20年(1945年)に第二次大戦の空襲でこちらも焼失しましたが
昭和32年(1957年)に再建されました。
廃止印なのでもう今は違うのですが
今回の風景印の図案はどちらもとっても気になるものでした。
宇和島郵便局(うわじまゆうびんきょく)
〒798-8799
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FDC 通常切手 15円五重塔航空切手 初日カバー その2 名古屋中央櫛型印
15円通常切手 昭和37年(1962年)4月2日発行
奈良風景印
松屋版(中村浪静堂)
カバー画:渡辺三郎氏
先日のその1の初日カバーで航空切手の説明をしていますが、
航空切手として発行された銭単位の切手が
円表示に変更された切手なのでここでは航空切手とも書いていますが
通常切手です。
今回は松屋版、中村浪静堂の木版カシェのもう一つの塔と桜です。
切手はダグラス機の方が大きくて五重塔が小さめですが
カシェは五重塔がメインですね。
この感じもいいですね。
切手と消印はこちら。
切手は同じなのですが、消印は名古屋中央の櫛型印です。
こちらも同じですが、説明文です。
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長野県 川路郵便局 天龍峡郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)10月31日押印 『長野 川路』
郵便局の改称に伴う風景印の変更の新旧が一緒に見つかりました。
一緒にご紹介できます。
先ずは川路郵便局。
使用開始日は昭和23年(1948年)5月1日でした。
図案は天龍峡の姑射橋(こやきょう)、仙床磐、龍角峯、伊那節の檜笠。
この風景印が始まった当時の姑射橋は3代目の橋で、
昭和7年(1932年)竣工の鉄平石張りコンクリートアーチの橋だったそうです。
その3代目の橋は昭和36年(1961年)の洪水で撤去されたそうで、
現在の橋は昭和46年(1971年)竣工の4代目で鋼ランガー桁だそうです。
天龍峡の特徴的な奇岩や淵には名前が付けられていて
天龍峡十勝(じゅうしょう)といいます。
図案には旧称が千畳敷岩の広く平らになった岩の部分の仙床磐(せんじょうばん)と
旧称が花立岩の谷底から垂直に塔状にそそり立つ大きな岩で、
天に上った龍の化身ともいわれている
天龍峡を代表する奇岩の龍角峯(りゅうかくほう)が描かれているそうです。
ちょっと風景印では分かりにくい気もしますがどうでしょう。
川路郵便局はこの翌日、11月1日から改称して天龍峡郵便局になりました。
その消印がこちら。
昭和37年(1962年)11月1日押印 『長野 天龍峡』
図柄は同じで局名だけ変わっています。
今回ご紹介の2つの風景印と一緒に図案説明もありました。
この天龍峡郵便局の風景印は昭和48年(1973年)8月19日まででした。
ちなみに、
翌日の8月20日からの風景印はちょっと構図が変わって空から見下ろす感じで
橋も4代目の橋になり、笠も無くなるのですが、局名の漢字が変わり
「天竜峡」になりました。
よく見たら、上の図案説明の郵便局名のゴム印は「天竜峡」ですね。
当時から混在していたのかしら。
天竜峡郵便局(てんりゅうきょうゆうびんきょく)
〒399-2431
長野県飯田市川路4663-4
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FDC 通常切手 15円五重塔航空切手 初日カバー その1 奈良風景印
15円通常切手 昭和37年(1962年)4月2日発行
奈良風景印
松屋版(中村浪静堂)
カバー画:渡辺三郎氏
航空切手は航空郵便において使用する目的で発行された切手。
日本だけでなく、世界の他の国々でも発行されています。
日本で最初に航空切手が発行されたのは昭和4年(1929年)でした。
戦後は国内航空郵便用と国際航空郵便用が発行されましたが
昭和28年(1953年)に航空郵便制度が速達郵便制度と統合されたため
普通切手が使えるようになり、専用の切手が必要なくなりました。
今回の初日カバーの切手もタイトルには航空切手と入れましたが
15円の通常切手です。
今回の図案と同じ航空切手は昭和26年(1951年)に銭単位の表示のもので
15円、20円、25円、30円、40円の5種類が発行されていましたが、
15円以外の円単位表示のものが昭和27年(1952年)~昭和28年(1953年)に発行されました。
今回の15円の切手がだいぶ離れて最後に発行されたもので、説明文には、
「外国郵便料金の改正にともない、外国へ差出す印刷物の郵便料金用として必要になったので、とりあえず昭和26年に発行した15円通常郵便切手(五重塔とダグラス機)の料額数字を円単位に改正し、4月2日から全国各郵便局で売りさばく。」
と書かれています。
航空切手が終了しているのになぜこの図案の切手だったのかと思ったのですが
そういうことだったのですね。
カシェは松屋版、中村浪静堂の木版カシェで塔と桜。
満開の桜の木々の間から見える五重塔がいいですね。
切手と消印のアップはこちら。
切手の図案は五重塔とダグラス機(DC-4型機)。
図案はカシェも同じですが渡辺三郎氏。
消印は奈良風景印。
この風景印の使用開始日は昭和23年(1948年)2月1日で
昭和49年(1974年)9月26日まで使われていました。
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愛媛県 新居浜郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)11月1日押印 『新居浜』
ちょっとバタバタしていたら前回の投稿から10日も経ってしまいました。
本当にあっという間に日々が過ぎますね。
使用開始日は昭和26年(1951年)12月10日でした。
図案は新居浜港と工業地帯だそう。
新居浜市が江戸時代の別子銅山開坑によって繁栄していったこともあり
沿岸地帯は工場群が形成され四国屈指の臨海工業都市となっています。
住友グループの工場が並び、住友グループと共に発展してきた港です。
この風景印は昭和49年(1974年)3月31日まで使われていました。
〒792-8799
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静岡県 須走郵便局 古い風景印
昭和37年(1962年)11月1日押印 『静岡 須走』
今回は今も続く継続印です。
使用開始日は昭和30年(1955年)8月10日。
図案は富士山と須走口から登る登山者。
このものすごくシンプルな分かりやすい図案、いいですね。
変わらずにこのままいってほしい感じです。
よく知られている富士登山ルートが4つあるそうで
そのひとつの須走口。
須走口から富士山に登るルートは森の中を行く部分があって
一番緑が多いルートだそうです。
下の方だけでも緑が多いと気分が全然違いますよね。
もう今はなかなか行けなくなってしまいましたが
以前は御嶽山に登る機会が毎年ありました。
ちょっと富士山にも興味がありますが
最近は全然運動もしていないので、まず、下準備しないといけないですね。
須走郵便局(すばしりゆうびんきょく)
〒410-1431
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