愛知県 日間賀郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)5月15日押印 『愛知 日間賀』
久しぶりに愛知県。
日間賀島は行ったことがあるのでその時のことを思い出します。
この風景印は廃止印で使用開始日は昭和27年(1952年)6月25日。
図案のきちんとした詳細記載は分かりませんでしたが
日間賀島の風景というところでしょうか。
平成5年(1993年)9月17日まで使われていました。
日間賀島はタコが有名で現在の風景印は図案にもタコが入っています。
1日で歩いて回れるくらいの小さな島なので
日帰りでも十分楽しめる島です。
散策していても海を見ると魚が泳いでいたり飛んでいるのが見えたり
多分野良の猫が人に慣れていて全く動じないとか寄ってくるなんてこともあったり。
そして、タコやふぐはもちろん、魚介類は新鮮です。
ゆったりした時間が流れる雰囲気は島ならではですね。
日間賀郵便局(ひまかゆうびんきょく)
〒470-3504
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北海道 旭川郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)5月15日押印 『旭川』
昭和24年(1949年)3月10日から使われていた風景印です。
図案の詳細がはっきりしませんが、大雪山と旭橋ですね。
あともうひとつ何かの建物がありますが、こちらがよく分かりません。
昭和45年(1970年)3月9日までのもののようです。
大雪山は一つの山ではなくて旭岳を主にした火山群、旭岳連邦のこと。
旭橋は昭和7年(1932年)11月3日竣工の旭川のシンボル。
美しいアーチ状で架橋当時の姿を残す橋です。
結構風景印の図案が変わりましたが、
この橋はずっと図案に入っています。
昭和63年(1988年)2月29日まで旭川(あさひがわ)郵便局だったそうで
翌日の3月1日から旭川(あさひかわ)郵便局に改称されたそうです。
そして平成2年(1990年)7月2日から旭川中央郵便局に改称だそうです。
旭川中央郵便局(あさひかわちゅうおうゆうびんきょく)
〒070-8799
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FDC 日光国立公園 初日カバー その1 日光風景印
日光国立公園 昭和37年(1962年)9月1日発行
日光風景印
松屋版
カバー画:長谷部日出男氏
国立公園シリーズの第2次の日光のカバーです。
日光は昭和9年(1934年)12月4日に指定された日本最初の国立公園のひとつです。
当時は日光、尾瀬、奥鬼怒の3つの地域で国立公園に指定されました。
それを受けて日光国立公園も第1次の切手に入っていました。
その後、昭和25年(1950年)9月22日に那須甲子・塩原、藤原、栗山、足尾の
4つの地域が追加され、今回ご紹介の第2次の発行になりました。
こちらのカバーは中村浪静堂の木版画の松屋版のひとつで那須高原。
爽やかないいカシェですね。
もうひとつ尾瀬沼を描いたものもあるはずですが、
またうちに来たものにはありませんでした。
切手と消印はこちら。
日光国立公園の切手は4種類。
今回は全部貼ってあるので分かりやすくていいですね。
消印は日光の風景印。
図案は神橋、杉並木、男体山の遠望。
使用期間は昭和23年(1948年)2月1日~昭和41年(1966年)7月31日でした。
こちらはつい先日ご紹介したところでしたね。
ところで、日光国立公園は平成19年(2007年)に尾瀬地域が尾瀬国立公園として分離したため、現在は日光、鬼怒川・栗山、那須甲子・塩原の3つの地域になっています。
説明文はこちらです。
日光郵便局(にっこうゆうびんきょく)
〒321-1499
栃木県日光市中鉢石町896-1
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北海道 夕張郵便局 古い風景印
昭和40年(1965年)5月15日押印 『夕張』
今回も初日でも最終日でもない平日の夕張の古い風景印です。
現在の夕張の風景印とは全然違う渋い風景印。
こちらの使用開始日は昭和27年(1952年)4月1日でした。
図案のはっきりした詳細は分かりませんでしたが
炭坑夫と石炭車、炭鉱なのでしょうか。
----2018年9月4日追記----
図案が「採炭救国坑夫の像」に似ているとゆいまるさんからコメントいただけました。
どうもありがとうございます。
調べた所やはり「採炭救国坑夫の像」のようで、昭和19年(1944年)6月29日に戦争時に結成された美術集団(軍需生産美術推進隊)の彫塑班により、「進発の像」として北炭夕張鉱業所前に石炭増産奨励のために設置されました。製作は二科会会員の中村直人と古賀忠雄、圓鍔勝二、木下繁の4人だそうです。
モデルが当時の北炭夕張鉱業所所長の竹鶴可文(よしふみ)でニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝の実兄だそうです。
昭和60年(1985年)12月に旧北炭夕張炭鉱天竜坑を展示使用した現在の夕張石炭博物館に移設されました。
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この消印は昭和53年(1978年)9月30日までのものでした。
夕張は明治24年(1891年)に炭鉱を開始してから
石狩炭田の中心地、炭鉱の街としてとして栄えました。
多いときは大小24の炭鉱があったそうです。
昭和40年代には次々に閉山し、
平成2年(1990年)までに全炭鉱が閉山しました。
今は夕張というとメロンという感じですね。
夕張郵便局(ゆうばりゆうびんきょく)
〒068-0499
北海道夕張市末広1-92
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FDC 宇宙観測ロケット第1回打上げ記念 初日カバー 内之浦小型印
宇宙観測ロケット第1回打上げ記念 昭和37年(1962年)8月21日
鹿児島・内之浦小型印
鹿児島内之浦櫛型印
今回はどちらの発行か分からないのですが、
宇宙観測ロケット第1回打上げ記念のカバーです。
説明文も入っていませんでした。
でもカシェに情報がいっぱい。
期間が1962年8月21~23日だったようですし、
第1日 OT-75型 発射実験・光学観測
第2日 AT-150型 新型胴部アンテナ・テスト
第3日 8L-1型 新固体燃料テスト
と3日間の内容も記載があります。
カシェのロケットはどれなんでしょうか。
はっきりしませんが、ネットで見たOT-75-1型に似ている気もします。
鹿児島宇宙空間観測所として設置されました。
切手と消印はこちら。
この切手の発行は昭和37年(1962年)4月30日でした。
消印は宇宙観測ロケット第1回打上げ記念の鹿児島・内之浦の小型印と櫛型印。
図案は観測ロケットとヤシの木ですね。
ヤシの木は内之浦の町の風景。
この翌年からの内之浦の風景印もロケットとヤシの木になりました。
以前ご紹介していました。
内之浦郵便局
〒893-1499
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